アメリカマラソンツアー 参戦記
2010/5/11
宇佐見令二
1. プロローグ
半年前に計画したアメリカマラソンツアーを遂に完走した。
昨年度(2009年度)はフルマラソンが結果的に記録なしに終わるという屈辱の年度となった。4月の霞ヶ浦は36Kmでリタイア、つくばはエントリーするも練習不足で出場断念、東京マラソンは抽選漏れ、荒川は悪天候で中止と1年間で記録なしのメニューのすべてを味わい、結果的に年齢別ランキングも途絶えてしまった。
そして年齢的に限界かと思うときもあったが、鎌田競著の“ランニングと脳”を再読して再び考えが変わり、フルマラソンを継続する元気が蘇った。それはマラソンを楽しんで走るということを再認識し、決して記録に拘らない、人と競争をしないことで、ランニングハイの状態を続けることであった。
そして復帰戦がこのアメリカマラソンツアーとなった。
2. ツアー第1戦 2010/4/25(日)
オハイオ州トレド Glass City 1/2Marathon (13.1mile)
オハイオ州トレドは東海岸でデトロイトの南に位置し、人口30万人の小さな町である。このマラソン大会は34回目を迎える歴史のある大会であるが、参加者はハーフ1500人、フルが700人と制限されており、規模としてはこじんまりした大会である。スタート、ゴールは広大なトレド大学の構内で、コースは大学を抜け、緑多い住宅街を通って大きなWildwood Preserve Metroparkを周回して戻るアップダウンのない走りやすいコースである。フルとは途中まで同じであるが、7mileあたりで別れ、フルは更に北上していく。
スタートは7:00、当日も5:30から受付があり、張り出された一覧表から自分の名前を探し出し、ゼッケン番号を確認して受付で申告してゼッケンとチップを受けとる。日本のように事前にゼッケン番号の通知や引換券は郵送されてこない。(メールで申し込んだとき受け付けた旨の返信のみである。)チップは日本のような返却は不要で使い捨てだ。
気温は8℃、曇り、ちょっと寒いが風がないので思ったほどではない。付き添いに女房がいてくれたので直前までウィンドブレーカを着ておれたことはありがたかった。
いよいよ7:00前になったので予想時間を1:55から2:05の間と女房に告げ、相応の場所に並んだ。7:00丁度にスタートかと思ったが、7:00から国歌斉唱、訳のわからないアナウンスがあり、5分後にようやくスタートした。きっちり定刻にスタートする日本とはやはり国民性が異なるようだ。
人数が少ないのと、道幅が広いのでスタートまでのロスタイムは50秒程であった。
目標はサブ2。表示は1mile(1.6km)毎なので9分/mileでいけば1:58でゴールできる。結果的に3mile(4.8km)毎のラップは(27:43,26.58,26.48,26.36,9:29)でほぼイーブンペースの目標どおりで快適に走破することができた。これは素晴らしい環境と適切な気温、周りの暖かい応援によることが大きい。次週のカリフォルニアでのフルマラソンのよい練習にもなった。ゴールでは出迎えてくれた女房に写真をとってもらい完走を祝った。
完走メダル、完走後のグッズ・食料を受け取った。これが半端でない。水、ドリンク、バナナ、クッキー、ベーグル、ピザを皿いっぱいに盛って、女房の元へ急いだ。そしてシャワー室のある体育施設が開放されており、自由にシャワーを浴びることができた。その広いシャワー室はだれも利用していなく貸しきり状態には驚いた。アメリカ人はゴールしたら早く車で自宅に帰ってシャワーを浴びるのだろうか。
初めのツアーにトレドを選んだのは近くのFindlayという都市に息子家族が駐在していて、会場まで1時間ぐらいで参加できるからで、4/21(水)に日本を出発し4日間の息子宅での合宿で十分な練習と時差ボケを解消することができた。
シャワー後は息子家族が迎えにきてくれ、一路ナイアガラの滝を目指した。
公式記録;
Gun time;1:58:31
Chip time;1:57:34
60-64才の部;7位/16
参考情報
参加費用;フル 60ドル、ハーフ 45ドル
表彰;全体(男女別)
1位-500ドル(フルとハーフそれぞれ)
2位-200ドル(同)
3位-100ドル(同)
4位-75ドル(同)
5位-50ドル(同)
40歳以上のトップ-200ドル
5歳刻みで1−5位を表彰
3. ツアー第2戦 2010/54/2(日)
カリフォルニア州オレンジカントリー OC Marathon (26.2mile)
第2戦は西海岸であり、4/28(水)に5時間のフライトで息子宅から娘宅のロサンゼルスに移動し合宿が始まった。東海岸との時差は3時間、時差ボケの再修正が必要だ。合宿といっても孫3人と遊ぶ時間がほとんどであり、あまり練習する時間はない。日本での練習とトレドの貯金でフルを完走するしかない。
この大会は6回目と歴史は新しいが、大会の規模ははるかに大きい。参加者はハーフが7000人、フルが1500人で5kウォークなどを含めると計約1万人の参加者である。
受付は前々日か前日しかない。スタートとゴール地点は15km程度離れていて、車社会のアメリカではゴール地点に広大な駐車場があり、そこからシャトルバスでスタート地点へピストン輸送する。娘宅はゴール地点のすぐ近くにあり、こんな絶好の条件は日本でもめったにない。
当日の朝は娘の旦那に15km離れたスタート地点まで車で送ってもらった。
スタートは6:30でハーフとフルは同時である。気温は12℃であるが、日の出前で思ったより寒い。使い捨てレインコートで寒さを凌ぎスタート時間を待った。
トレドと同じで6:30になってようやく国家斉唱、意味のわからないアナウンスが7分程度あってようやくスタートの号砲が鳴った。
並び位置は自己申告で3:10,3:20,3:40,4:00,4:15,4:30のプラカードを持つペースメーカがいたので4:30のグループに並んだ。使い捨てチップはトレドと同じである。ゼッケンには番号の他にファーストネームが記載されていて、沿道の応援者はその名前を呼んで励ましてくれた。
ゴール近くの25mile近辺で娘家族が応援してくれることになっており、予想通過タイムをスタートから4:30〜5:00後程度と伝えたが、レースはふたを開けてみないとわからない。
レースの組み立ては10分/mileとし、このままいけば4:22でゴールであるが、後半歩く時間も増えるので、最悪でもサブ5をキープしたいとの目標を掲げた。
スタートしてしばらくして段々空が晴れてくる。カリフォルニア特有の強い日照りが後半戦でかなり苦しむことを覚悟したが結果的にはそれ程気温は上がらずマラソンには絶好のコンディションであった。
これまでの経験から前半でこらえて、後半での歩く時間を少なくした方が結果的にゴールは早いので10分/mileより速くならないように意識した。
コースはニューポートビーチにあるモールのファションアイランドをスタートし、ニューポートビーチの海岸線の絶景を眺めながら走り、その後アッパーニューポートベイという自然豊かな湾沿いに走り、ゴールを目指す。12mileまではハーフと同じコースのため大勢のランナーがいたが、コースが分かれた途端ランナーの数がめっきり減った。ハーフと分かれてゴールまでまだ半分かと思ったが一歩一歩進むしかない。
途中フリーウェイを高架で横切るためアップダウンがあり後半になると結構厳しい。また途中にアメリカでも最大規模のシュッピングモール・サウスコーストプラザ内を走るが開店前のため人影はまばらである。その後Santa Ana River沿いに走り、公園を抜けて娘家族の応援の場所(25mile地点)は11時ごろ通過と約束していたが、11時時点ではまだ1mile手前であった。
後1mileで家族がいる、孫が応援してくれると思うと元気が出て歩く時間もそれほど増えずに走り続けることができた。先の方に旗を振って応援している家族の姿が見えた。なにせその場所は他にだれもいなく応援しているのは私の家族のみであった。“じぃじ、がんばれ!あと1mile!”という孫の声援を受けて、ゴールを目指した。一番苦しい地点でこんな応援を受けて走ったのは国内の大会でも今まで経験がない。
ゴールに近ずくと段々応援者も増えてきていよいよゴール。4:37:35は満足できる記録であった。正味4:31:50は3年前のバンクーバマラソン以来の好成績であった。これは天候の条件がよかったこと、前半飛ばさずゆっくり走ったことにより歩く時間が少なかったこと、苦しいところで家族の応援を受けたことと分析した。この経験を生かしてまた次の大会を頑張ろうと誓った。
3mile(4.8km)ごとのラップは
(30:22,30:42,30:25,31:56,30:25,28:26,32:19,33:00,24:15)
完走メダルを受け取り後、娘宅まで歩いて戻り、記念撮影、シャワーを浴びて完走パーティーを開催した。
公式記録;
Gun time;4:37:35
Chip time;4:31:50
60-64才の部;13位/32
全体順位;775/1483
参考情報
参加費用;フル 100ドル、ハーフ 80ドル
表彰;
・全体(男女別)
1位-1000ドル(フル)、500ドル(ハーフ)
2位-750ドル(フル)、250ドル(ハーフ)
3位-500ドル(フル)、100ドル(ハーフ)
・Master(年齢不明)
1位-500ドル(フル)、250ドル(ハーフ)
2位-250ドル(フル)、150ドル(ハーフ)
3位-100ドル(フル)、100ドル(ハーフ)
・5歳刻みで1−3位を表彰
