平成21年5月10日
矢古宇 努
【いざ伊豆大島へ】
東京から南南西に約120kmの太平洋上に浮かぶ【伊豆大島】は、伊豆諸島中最大の島(周囲約52)で、ジェットフォイルなら僅か2時間で行ける。
昭和61年の三原山(764m)の噴火を私は、強烈な印象で記憶している。島民の避難場所として、スポーツジムのまだ流行らない時代に私が足繁く通っていた港区の体育館が使用されており、被災者の困惑した表情やその生活状況が脳裏に焼き付いているからである。そんな思いもあり、駅伝は勿論のこと、城北クラブ入会以来、一度は参加してみたいと思う大会であった。あれから23年経過した島の状況をこの目で確かめたく・・
この大会への参加方法は幾通りもあるが、
@島の観光をしたいこと
A大会当日(早朝)着のフェリーでは体調不良(船酔い+酒酔い)の可能性大
を理由に大会前日の4月4日08:15東京発のジェットフォイルで出発することに決めた。私と同じ考えを持った小西さんと竹橋桟橋で待ち合わせ、定刻どおりの出港となった。通称《セブンアイランド》と呼ばれているこのジェットフォイルは、航空機メーカーのボーイング社が開発した船で、ジェットエンジンで海水を吹き出し、空気のかわりに海水から揚力(浮き上がる力)を得て飛ぶためほとんど揺れを感じない。あっという間の2時間であった。元町港(島西部)では、会長を始めとした大島役員さん達が横断幕で出迎えてくれた。気候もほんのチョッピリ温かいが、大会の雰囲気も十分に温かさが伝わってきた。
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さっそく、港から徒歩10分の民宿『三浜館』に荷物を置き、島内を観光することにした。観光手段も観光バス、レンタカー・バイク・サイクル等幾通りもの手段があったが、
@島を一周してみたかったこと
A島中央部に位置する三原山山頂口までは行きたかったこと
を理由にレンタバイクで観光することにした。
初めに、昼食を調達するため、民宿近くのスーパーに立ち寄ったが、さすがここは伊豆大島!店内の一角に「くさや」が陳列され、独特の強い臭気が鼻を突いた。私の実家(栃木)の隣家は伊豆大島に親戚があるらしく、幼少時、私が庭で遊んでいる夕方になると、くさやを焼く匂いが度々漂ってきた。『クッせー!』という私の(素直な)叫びに、母から人差し指を口元に立て戒められたことを思い出した。
島を反時計周りで一周したが、【大島一周道路】があり、地図を頼りにしなくとも、まず間違うことはない。三原山山頂口から火口までは、往復に約1時間を要し、時間の関係上行けなかったのは残念であったが、山肌には溶岩流の爪痕がまざまざと残っており、噴火の凄まじさを確認することが出来た。
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これはまったくの余談になるが、当日は北朝鮮のミサイル発射が懸念されていたため、山頂口に在る外輪山警備派出所で警察官から情報収集!まだ、発射はされていないが誤報があったことを(不思議そうな顔で)親切に教えてくれた。
また、途中に自動車教習所の路上教習車両と数台すれ違った。信号や交差点、歩行者も数えるほどしかない場所で緊張感というのが殆ど感じられず、《これでは教習にならないだろう!?》と思ったが、他人様のことであり余計な心配をするのは止めた。が、交通事故発生状況を分析したデータによれば、処処の島で免許を取得したドライバーによる発生率が極めて高いのは確かなようである。
【開会式】
駅伝の開会式は、大会前日の4日17:00から、町役場2階の「開発総合センター」という場所で行われた。開会通告を大会副会長である菅原会長により行われた。流石に堂に入っており決まっている↑↑また、開会式のイベントでは、地元の小学生〜高校生くらいの女の子たちが一生懸命に練習したのであろう、今風の椿姫に扮してのダンスを4曲披露してくれた。凄い熱気である。会長から事前に『矢古宇君、大会の選手宣誓頼むよ!』と言われ、《どうせ、開会式など少人数しか集まらず、誰も聞いてないから・・・》と思い、負担に感じることなく易々と承諾していた。あまり緊張することがない自分でも安請けしたことを次第に後悔してきた。会場入り口でビールが配られていたが宣言が終わるまで、開ける気にはならなかった。
宣誓の内容としては、力一杯走ること!島民と触れ合うこと!の2点により素晴らしい大会となるように心掛けることを趣旨とした。宣誓後やっと開けたビールの味は喉越しとも最高であった。
【駅伝】
8時のスタートに合わせ、《仲の原園》という海岸沿いの公園に選手がぞくぞくと集まってきた。駅伝の部は約80チームの参加である。我がクラブの当日参加者(4日夜東京発の客船)6名も無事会場入りし合流となった。クラブの合言葉は『海に落ちないように気をつけてタスキを繋ぐ!』であったが、赤ら顔の面々をみると本当にそうならなければ!と、不安要素満載の城北クラブ2コチームであった。鈴木さんは到着するや否や、島名物の明日葉(あしたば)やタラの目を目敏く見つけお土産にと束ねていた。どうやら“見える者には見える”らしい。
5区間30キロ(5・5・3・10・7、各区間スタート地点でのタスキ繋ぎ)のコースは海岸沿いのサイクリングロードであり、走りに集中しようとも、ついつい視線は海原や遠く霞んで見える伊豆半島に転じてしまい、危うくレースを忘れるような素晴らしい景観であった。しかし、アップダウンは厳しかった!
成績の方は、Aチームが6位(2:01:04)、Bチームが28位(2:31:34)と5歳刻みの年齢ハンデキャップレースでも検討したほうだと思う。
【アフター】
閉会・表彰式までは十分に時間があったため、会場から徒歩5分の露天温泉【浜の湯】に漬かることにした。参加者はゼッケンを見せれば無料とあって水着着用のランナーで溢れていた。
そんな、悠長なひと時を過ごしている頃、会長や杉本さんが買い出しをしてくれ、打ち上げ態勢を整えてくれていた。(いつもいつもありがとうございます!甘えてしまって!)港近くの店よりも、少し離れた地元島民が利用するスーパーの方が品揃え豊富にして格段に安く購入することが出来るらしい。
普段の駅伝や練習会等においては、所要で打ち上げには参加できない方も居るが、ここは伊豆大島、船が出るまでは先に帰ることも出来ず、参加者全員で声高らかに乾杯をし、美味しく頂いた。遠征の地での打ち上げは、いつもとは一味違った感覚が生まれるものである。
帰路は、波の影響により元町港からバスで約15分かかる岡田港(島北部)からの出港となったので全員でバス移動した。私は、往路同様復路もジェットフォイルであったので、先発の客船で帰京する会長等を見送ることにした。「また(直ぐに)会おうね!」と涙のまったくない楽しいお別れであったが、以外にも日本人が世界に広めたと言われる紙テープの体験をすることが出来た。最近では紙テープが「ゴミになる」ということで使用を禁止している港や外の通路が無く客席の端がガラス窓になっていてテープで繋ぐことさえ出来ない船もあるため、どこでも見られる光景ではなくなりつつあるという。
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【最後に】
今年が19回目の開催であり、来年は記念すべき第20回大会である。島民もこれまで以上に一体となって歓迎してくれるでしょう。出来れば来年も参加したいと思う。
今回、この駅伝に参加しての率直な感想は、わずか30時間の滞在ながら、渡島し都会の喧騒から離れ、非日常感を味わうことにより心身をリフレッシュすることが出来た。また、冒頭に記した三原山の噴火災害から力強く復興された島、それに導いた島民を確認し、改めて人間の強さを知った。もしかしたら、23年前、港区の体育館に避難していた島民とすれ違っていたかも知れないと思う・・・