奥 武 蔵 リ タ イ ア 記

矢 古 宇   努

(平成17813up

1 参加の経緯
  『奥武蔵マラソン』この大会名は、関東近辺のランナーなら走っていなくとも、何となく名前だけなら承知している大会名ではなかろうか。私も、その内の一人であった。参加することなど、まずもってないであろうと思っていた大会である。

    そんな自分も、森林公園臨時練習会(4月29日)のアフターの席上(私はアフターのみ参加)で、ももちゃんから「みんなで走らない?」の一言で、酔った勢いも手伝い「オーッ、走りましょう、走りましょう!!!」と一気にその気になってしまった。酔った勢いと(ももちゃんの)話し出すタイミングがマッチした結果である。

    何故、前記森林公園練習会がアフターだけの参加と言うと、今年、1月から左足の故障で、走ることを控えていたためである。

    しかし、大会までの期間が4ヶ月程あると思うと、”そのうち直る、そんなに(完治まで)長くは掛からない”
 という気持ち・判断から参加を決心した次第である。

2 参加までのトレーニング
   
しかしながら、月間の走行距離を半分に減らしていたものの、予想に反して長 引く結果となった。今まで、こんなに故障をしたことがなかったため、少し良くなっては、また走り、少し良くなっては、また走りの繰り返しであった。
  今となっては、故障を楽観視していたの一言に尽きる。
   
通勤ランを徒歩や自転車に代えたり、走る時間をスイムや筋トレに費やしたり と、まったくトレーニングをしないことはなかったが、やはり私もランナーの端くれか!!走らないため気分までも梅雨空同様、スッキリしない毎日であった。
   
走行距離も、長くて(1回)10キロ、(1日)20キロであった。
  一般的なランナーは、目標とする大会日に近づくにつれ、トレーニングの貯金がたまり、最後には体調を万全に整えるというのが定番であろう。勿論、私も・・・しかし、今回に限っては、貯金が段々と底をつく様な状況になってきた。
    
そんな気分もスッキリしない毎日であったが、梅雨も明ける頃には、開き直り というか、「何とかなる!何とか完走してみせる!」「自分の力を出し切ればそれでいい!」という気持ちの整理が出来た様な感じになってきた。でも、その時に自分がまさか「リタイア」するなどとは微塵にも思っていなかった。

3 いよいよ本番
   
飯能市から会場までの出発前のバス中(出発2分前)。私とサポランさんは、バスの席取りで既に乗車待機。ミッキーちゃんは、イワン大佐をホテル1Fロビーで待ち、バスまで一緒に来ることにしていた。
  Y古 : 朝飯の時、イワン大佐来てましたか?
  サポ :  来てませんでした・・・
 
何か、変な予感・・・サポランさん、直ぐさまイワン大佐の携帯に架電・・「今起きたッ・・・」「シェーッ!!」
  宮本『武蔵』は、巌流島の小次郎との決戦において、予定よりも大夫遅れて島に到着したらしく、小次郎をヤキモキさせた伝説はご案内のとおりである。しかし、ここは、『奥武蔵』。イワン大佐がどのような戦法に出ようとバスは出発してしまうのである。
   
しかし、何とか、最後に2人を乗せて、バスは無事出発した。
   
会場のトイレは、外に1個、体育館内に2個、勿論大の方の数である。列をなしているランナーの不満が、スタート時間が迫るにつれ、次第に相互の会話として現れてきた。
   
「少なすぎますよね」「女性の方を1個男性用に・・・」「ウルトラだから、スタートが少し遅れても、ここで済ませた方が・・・」等々
  私も、5分前に間に合うかどうかの瀬戸際となったため、列後方の人に声を掛けシューズを取ってくることにした。体育館内であったが、新調のものだから汚れてもいないし、”いいか”という感じで履いたまま順番待ちをしていた。
   
スタート地点に着いたのは、スタート1分30秒前の5時58分30秒ころであった。緊張感も何もなく、とにかく、時間どおり無事スタート出来たことに安堵した中でのスタートであった。

4 スタート〜リタイアまで
  ウルトラ初挑戦の私は、”スタートからのスピードをどの程度で入るのか”が、今一分からなく、一番の関心事であったが、やはりハーフやフルのスピードとは違い、比較的ゆっくりした入りでのスタートに、「そんな、特別の人はいないんだ、やはり皆人間なんだ。良かった。」と正直感じたものである。
  5キロ付近から、いよいよ上り坂が来た。試走時に、イワン大佐から「始めの15キロ位は、足慣らしで、アップのつもりで行けばいい・・・」等のアドバイスを受けていたことから、気持ち良い位で無理をせずに上りきった。上れば当然あとは下り(15キロ付近まで)が待っていた。どちらも、無理をしたつもりはないが、上りで3人位に抜かされ、下りで5人位抜いた。(人と競っているつもりではないが) どの大会でも、同様パターンであるので、”私は下りの方が得意なのかな〜”と思いつつ走った。10キロ過ぎたころ、病んでいた左足首に痛みを感じるようになってきた。若干、足首を内側にねじるような感じで着()地すると、あまり痛さは感じないので、そのまま進んだ。ところが、今度は、痛みではなく、しびれというか、麻痺したような感じというか、重く感じられるようになってきた。”何かヤバイ”この時、 ”完走出来るか、もしかしたら?” と、初めて危機感を覚えた!!
   ”まっさか、冗談じゃないゼ足君”誰だって、まともな体調の選手なんていない。盲人ランナーだってこの大会に参加しているんだよ。五体満足で、足首が痛いぐらいの俺がリタイア出来るわけがない・・・”
 等々、色んなことが頭の中をよぎった。
   
でも、行けるところまで行こう。という気持ちと、これ以上、足を悪くしたく ない。これが最終目標じゃない。という気持ちが入れ替わり立ち替わりの状態であった。
   
しかし、とうとう顔振峠を過ぎた28キロ付近まで行ったところで、自らゼッケンを外すことにした。自分のワースト記録を作りたくないが為にリタイアする選手も居ると耳にするが、私は、そんなんじゃない。
”来年は、絶対リベンジしてみせるゼ「奥武蔵君よッ!!」と思いつつ。”

5 リタイア〜ゴールまで
   
リタイア地点からゴールまでは、約14キロの行程である。来年の為に、少しで も地形をインプットしておこうと脳裏に焼き付けながら歩いた。すれ違うランナーは、下を向きながら一歩一歩着実に山道を登っている。ガンバと声援を送ると、その殆どのランナーが挨拶を返してくれた。これもウルトラとフル以下の距離の違いの一つであろう。
   
顔振峠手前で、イワン大佐とミッキーちゃんとすれ違った。そういえば、イワン大佐朝食抜いていたのに大丈夫だったかな?気合い入れて、どんぶり飯2杯も 食べた私がリタイアして・・無駄なカロリーだったかな・・ミッキーちゃんは、ゼンゼンきつそうな顔をしていない。顔振峠は、義経が奥州へ逃れる時にここを通った際に、「お供の弁慶が急な登りに疲れて顔を振りながら登った」と云う説と「義経が絶景のあまり顔を振りながら登った」という二説があるようであるが、前者であれば、ミッキーちゃんは、弁慶より上を行っていることになる。
   
サポランさんとも、途中のエイドですれ違った。というより、ウルトラエンジョイ派の彼は、エイドの左から右へほっぺを膨らませながら移動していたのである。富士五湖ウルトラ〜トライアスロン〜富士登山競争と乗りに乗っている彼の流儀?の一面を垣間見た気がした。流石”ウルトラは、こうでなくちゃ”
   
残り11キロ付近で、私の歩いている姿を見た年配のランナーが、「ご一緒させて頂いてよろしいでしょうか。」続いて10キロ付近でやはり年配のランナーが、「ご一緒させて貰います。」と、悪影響を及ぼしたつもりはないが、まるで、桃太郎が鬼を征伐に行く際にサルやキジ達が付いていったように・・・孤独のリタイア者から3名のリタイアチーム編成をなしての復路となった。
   
私以外の二人は、過去この大会に何度か参加されているようで、「泡の出る麦茶」 の在処を承知していたらしく、エイドに付くと「ビール飲んだら旨いべな〜」と。 水やスポーツドリンクには目もくれず・・・エイドの方は、こんなに早くそれを出すことを予定していなかったようであるが、年配者との駆け引きに負けたらしく、私にまでビールをコップに注いでくれた。800名も参加した大会で、多分、最も早くリタイアして、最も早くビールを飲んだのは、この私であろう。そんな特別賞あるわけないよなぁー・・・
  いよいよゴール、3名でゴールの正面は通り辛いので、「ゴールの外側を通りましょう。」ということになり、感動のまったくない心境のゴールとなった。
  ももちゃんが、応援に来てくれるということであったが、まだ居ないことに正直ホットした。何故なら、”ももちゃんの分まで頑張ってくる”等々カキコしてきたので、せめて、ももちゃんの見ているところでは、カッコイイ姿で(ボロボロでも時間ギリギリでも)完走する姿を見て欲しかったから・・・

6 城北メンバーの感動のゴール
   
予想どおりイワン大佐が8時間代でゴール。この安定振りは、どこから来ているんだろう?次にサポランさん。またもや、完走。次から次へと完走しまくり。 ミッキーちゃんは、サポランさんの、「途中、ミッキーちゃんが、普通の状態ではなかった。」との言葉に心配していたが、何ともなさそうな笑顔で見事9時間台でのゴール。
  ”皆、完走者は美しい、勝者だな”
 と痛感させられた。

7 来年は
  ももちゃん、ラビットさん、遠路応援に駆けつけて頂き本当にありがとうございました。ネットで応援して下さった皆さんも本当にありがとうございました。
  不本意ながら、今回は、リタイアしてしまいましたが、この教訓を無駄にすることなく、ランナーとして頑張って行きたいと思っています。まずは、足を完治させ、次のステップへ!!!それと、来年の奥武蔵は必ずや・・・来年は、もっともっと美味しい美酒を味わう為にも・・・


 ※ 追 伸    今年41歳、大厄の私ですが、これくらいの怪我で済めば”よし”としなければ、と思うところであります。